高階 敏忠(たかしな の としただ)は、平安時代中期の貴族。右近衛中将・高階師尚の孫で、宮内卿・高階良臣の子。官位は従五位上・左衛門権佐。
経歴
永延2年(988年)正月の除目で肥前国司に任ぜられる。右衛門権佐を経て、永延3年(989年)摂津守に任ぜられる。この時、左衛門権佐を務めていた。位階は従五位上に至る。永祚2年(990年)6月20日に頓死した。
歌人として活動した高階貴子(儀同三司母)や、源兼俊母は兄弟の成忠の系統だが、敏忠の系統からは院政期に活動した高階栄子や、高階泰経などが出ている。
官歴
- 永延2年(988年)正月29日:肥前国司。閏5月9日:見右衛門権佐
- 時期不明:従五位上。左衛門権佐
- 永延3年(989年)4月5日:兼摂津守、左衛門権佐如元
- 永祚2年(990年)6月20日:卒去
系譜
- 父:高階良臣
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:高階業遠(965-1010)
脚注
参考文献
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
- 『尊卑分脈 第四篇』吉川弘文館、1958年




