第7回極東選手権競技大会の陸上競技(第7かいきょくとうせんしゅけんきょうぎたいかいのりくじょうきょうぎ)では、フィリピン、マニラで開催された1925年の第7回極東選手権競技大会の陸上競技の入賞者と日本代表選手の成績について記す。

同大会において、陸上競技は19種目行われた。従来の帝国単位に代わって国際基準のメートル法で初めて実施された。

日本代表選手は、競技を途中で中止している。これは主催国であるフィリピンの審判員が地元有利の審判をしていたためである。例えば、円盤投の沖田芳夫の3位を見落として等外にする(日本の抗議で復活している)、400m予選で3着の松重秀男が誤審により4位落選、100m準決勝でA組の加賀一郎、B組の谷三三五がともに1着となったが2着と発表、400m決勝において納戸徳重が2着に入ったが、フィリピンの審判役員が妨害行為があったとして失格となるなどである。

これを受けて、監督マネージャーの岡部平太、竹内広三郎、中野雄三と主将の織田幹雄が協議し、日本代表選手の競技中止が決定された。

競技結果

日本代表選手の成績

出典:

脚注

注釈

出典

参考文献

  • Far Eastern Championships. GBR Athletics. Retrieved on 2014-12-18.

陸上競技(大正12年) 第6回極東選手権競技大会 ジャパンアーカイブズ Japan Archives

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第9回極東選手権競技大会|番組|NHKアーカイブス

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